いま期待される新型コロナウイルスのワクチンや治療薬の流通のみならず、近年発展の著しいバイオ医薬品や再生医療などの高度医療分野において、迅速性と徹底した温度・湿度管理が求められる医療コールドチェーンの重要性が高まっています。
そもそもコールドチェーン(低温物流)とは、一貫した温度管理によって品質を保持しながら、生産から消費までをつなぐ物流です。主に生鮮・冷蔵・冷凍食品の分野で発展し、現在は半導体などの電子部品、化学品の他、医療品分野においても品質管理の一環として整備が進んでいます。ここでは今後開発と流通が期待されるワクチン需要を下支えする医薬品コールドチェーンを俯瞰してみましょう。
拡大する日本の医薬品貿易
近年の医療分野では、特にバイオ医薬品、ワクチン、治験において、コールドチェーンの確立が進められています。高齢化が進む日本の医薬品貿易は拡大傾向にあり、2019年は、輸入が3兆918憶円(前年比4.4%増)、輸出が733.1憶円(前年比13%増)でした。
(出所:財務省貿易統計)
貿易量の推移で見ると、輸出入において数量・金額ともに輸入超過が続いており、2008年以降は特にその傾向が拡大しています。これは最新のバイオ医薬品や抗がん剤、高度な医療機器等を輸入していることが一因として挙げられます。例えば、2015年の輸入金額の急増は、抗ウイルス剤の輸入が前年比5.5倍の8,691憶円に増えたことが影響しています。これには、バイオ医薬品の大手企業、ギリアド・サイエンシズ社から2015年9月に発売されたC型肝炎治療薬「ハーボニー(当時の薬価1錠約8万円)」などが挙げられます。C型肝炎は、国内の患者数は無症状の人を含めると150万〜200万人に上るといわれており同治療薬は待ち望まれたものでした。
医薬品の輸出についても近年は堅調に推移しています。2014年から2019年までの5年間で医薬品輸出金額は約2倍となっており、特に抗がん剤などを含む腫瘍用薬で35倍と大幅に増加しています。背景には、小野薬品工業から2014年9月に発売されたがん細胞に対する免疫機能を高める治療薬「オプジーボ」の開発等があります。「オプジーボ」は京都大学の本庶佑氏の研究成果を基に開発されたもので、本庶氏はがん免疫療法の進展への多大な貢献が評価され2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。
医薬品貿易拠点としての国際空港
厳格な温度・湿度管理等、繊細な取り扱いが求められるバイオ医薬品やワクチンの国際輸送は、その速度と効率性の高さから航空利用の比率が高くなっています。日本では、成田空港と関西空港が、輸出入ともに医薬品貿易の2大拠点となっています。
(出所:財務省貿易統計)
(出所:財務省貿易統計)
医薬品物流には厳格なガイドラインがあり、代表的なものとしては、医薬品査察当局によって定められた国際的な協力の枠組み「医薬品査察協定および医薬品査察協同スキーム (PIC/S)」や、欧州連合 (EU) や世界保健機関 (WHO) などによる「GDP (Good Distribution Practice)」と呼ばれる医薬品の適正流通基準があります。日本国内では、2018年12月に厚生労働省からPIC/S・GDPに準拠した日本版ガイドラインが発出されました。製造業者から薬局・医療機関までのサプライチェーン全段階において、医薬品の品質管理やトレーサビリティ確保のための実践規範が定められています。また、航空貨物業界でも、国際航空運送協会 (IATA) がGDPや各国の基準を反映させた「CEIVファーマ」という医薬品輸送品質認証を定めています。
コールドチェーンは、運ぶ物によって冷凍・冷蔵・定温など必要な温度帯が異なるため、それぞれに輸送容器やコンテナ、トラック、倉庫等のネットワークが整備されています。医薬品サプライチェーンも同様に、容積や重量は小さいながらも繊細な取り扱いが要求されます。例えばバイオ医薬品は、基本的に遺伝子組換え技術や細胞培養技術を用いて製造されたタンパク質です。そのため、温度だけでなく光にも影響を受けることがあり、設定温度に保たれた屋内での作業が欠かせません。また、ワクチンは多くの場合種類により-50℃~-15℃の冷凍または2℃~8℃の冷蔵温度帯での保管が必須となります。しかしながら、設定温度の逸脱事例の約半数が空港内でのグランドハンドリングの際に起きており、航空輸送と陸上輸送のつなぎ目の強化が国際空港内外で図られています。
- 関西国際空港の医薬品専用共同倉庫KIX-Medica
2010年9月に運用が開始された関西空港の「KIX-Medica(キックスメディカ)」は、日本の空港初の医薬品専用共同定温倉庫です。関西はもともと医薬品関連企業の研究開発拠点や生産拠点が多く、2005年に日本通運の医薬品輸出入拠点が開設されていましたが、KIX-Medicaは航空会社、貨物事業者、荷主を問わない「共同上屋方式」で、これまでに60以上の企業が利用しています。床面積は750㎡で20℃と5℃の定温エリアに分かれており、最大取扱量はひと月当たり約1,200トン、駐機場に面した立地で航空機への迅速な搬出入が可能です。KIX-Medicaの完成により、関西国際空港では大量の医療用医薬品の原料や半完成品、医療機器などを、品質を損なわずに荷捌きできるようになり、完全な医薬品コールドチェーンが実現しました。また、2017年には日本の空港として初めて空港主体のコミュニティ「KIX Pharmaコミュニティ」を形成し、2019年には参加している国際航空輸送関連事業者6社がIATAのCEIVファーマ認証を取得しています。
- 成田空港でも空港主体の取り組みが加速
医薬品貿易金額の約半数を取り扱う成田空港では、2018年2月に国内最大級の「成田空港温度管理専用上屋 (CCC)」が稼働しました。空港でのグランドハンドリングを担う国際空港上屋 (IACT) が運営する空港内の第4貨物ビル1階に位置し、延床面積2,507㎡の内141㎡が万全のセキュリティー体制を確保した医薬品専用の薬品庫になっています。2019年10月には空港が主体となって国際空港輸送事業者9社によるコミュニティが結成され、2020年11月にCEIVファーマ認証を取得しました。また、2029年完成予定の成田空港の拡張計画では、新たに取得した用地において新上屋を2021年度までに建設して老朽化した既存上屋の建て替えを促進する他、貨物地区全体の環境の改善により、医薬品輸送の拠点強化が目指されています。
- 羽田空港も国際化を受けて医薬品物流に注目
国内空港第4位の医薬品貿易高を取り扱う羽田空港でも、医薬品専用倉庫の整備が進められています。2010年9月の空港国際化に伴いPFI事業として稼働した東京国際エアカーゴターミナル (TIACT) では、駐機場に面した第一国際貨物ビルの一区画に約600㎡の医薬品専用スペース「メディカルゲートウェイ」が設けられました。輸出入および営業倉庫の機能を併せ持ち、治験薬物流のアウトソーシングサービスを提供する企業等に活用されています。2013年6月には同ビル内に約250㎡の医薬品・医療機器専用の上屋「ファーマ・トランジット」が新設されました。その後羽田空港での医薬品取り扱い量は堅調に推移し、2013年から2019年の間に輸入金額は約103倍の358憶円、輸出金額は約8倍の145憶円に増加しています。
- 中部国際空港セントレアにも初の医薬品専用温調庫が開設
中部国際空港セントレアでは、2018年にDHLグローバルフォワーディングジャパンにより空港内では初の医薬品専用温調庫が開設されました。GDP基準に準拠した約124㎡の施設で、これまで東京・大阪の空港を経由していた医薬品貨物を直接輸出入できるようになりました。また、輸送時間も24時間以上短縮され、今後の中京圏における製薬会社の輸送需要増に迅速に対応できるとしています。DHLは成田空港にもGDP対応医薬品専用倉庫を持っています。
その他、国際物流大手の日本通運では、これまでも輸出入拠点である成田および関西国際空港近隣で医薬品専用施設のメディカルハブを展開してきましたが、2021年2月までにGDP準拠の大型専用倉庫を国内4か所に新設し、国内医薬品サプライネットワークの強化を目指しています。その第一弾として2020年10月に福岡県北九州市に約17,300㎡の「九州医薬品センター」が竣工しました。今年12月には大阪府寝屋川市に約63,600㎡の「西日本医薬品センター」が、2021年1月には埼玉県久喜市に約65,400㎡、富山県富山市に約9,900㎡の医薬品センターがそれぞれ竣工予定となっています。
政府主導の医療イノベーションにより促進される医薬品コールドチェーン構築
このように進む医薬品コールドチェーンの構築ですが、まだまだ発展の過程にあります。
医薬品貿易においてはいまだに輸入超過の傾向が拡大しています。この背景には、製薬企業の製造拠点が、税制優遇や開発から市場投入までのインフラが整備されたスイスやアイルランド等の海外に置かれている世界的な傾向があります。特にインスリン製剤やがん治療のための抗体医薬品などを含むバイオ医薬品分野では、日本国内のインフラ整備の遅れにより、製造拠点として海外が選択される傾向にあるといわれています。
この状況に危機感を抱く政府は、日本の医療関連産業の世界市場におけるシェア拡大を目指し、これまでに5か年計画を2度策定しています。2007年の「革新的医薬品・医療機器創出のための5か年戦略」では、研究資金の集中投入、ベンチャー企業の育成、臨床研究・治験環境の整備、審査の迅速化など、医薬品・医療機器の研究開発・実用化の促進や、産業の国際競争力強化に係る体制が整備されました。
その後続いて策定された2012年の「医療イノベーション5か年戦略」では、更に体制幹細胞・ES細胞・iPS細胞等を用いた再生医療や、個人ゲノム情報に基づく個別化医療などの先進分野に注目し、研究開発から市場投入までのプロセスの円滑化を目指しています。再生医療に関しては、2014年に新しい法律が施行され、臨床研究から製造販売まで今後の再生医療の実用化を促進する制度的枠組みが整備されつつあります。
現在開発が進む新型コロナウイルス用ワクチンでは、ファイザー社/ビオンテック社と、モデルナ社がmRNAワクチンの有効性を発表しており、適正輸送温度はそれぞれ-70℃の超冷凍、-20%の冷凍となっています。医薬品ごとに異なる温度管理等のニーズに柔軟に対応することが求められると予想されます。
今後も国内において新薬開発や、新型コロナウイルスのワクチンおよび治療薬の流通が開始されれば、輸出入双方向における医薬品コールドチェーン需要は高まることが期待できるでしょう。
特に迅速さと繊細な温度・湿度管理が求められるバイオ医薬品やワクチンは航空輸送の依存度が高いため、国際空港を拠点に各地域の製薬企業や病院などを結ぶ医薬品輸送網の整備が今後更に進むことが予想されます。いまだにニッチかつ専門的ではあるものの、今後も拡大が期待できる施設需要といえるでしょう。